electropicoの音楽三昧

サルサ・キューバ音楽を中心に ラテン~ワールドミュージックまで。

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サルサの歴史(執筆1999/5)

サルサの歴史

 スペインを出発し、西回り航路でインドを目指したコロンブスが最初に到着したのは、カリブ海であった。これが、アメリカ大陸の「発見」である。キューバは1492年、プエルトリコはその翌年に「発見」されている。当時カリブ地域に住んでいた先住民族は、黄金の国を夢見たスペイン人達によって瞬く間に征服され、奴隷にされてしまった。しかし、過酷な奴隷労働と征服者の持ち込んだ疫病によって、彼等はわずか数年でほぼ死に絶えてしまった。そこで、鉱山やプランテーションのために頑強な労働力が欲しかったスペイン人は、アフリカから奴隷を輸入し始めた。ここから、植民地と奴隷制の時代が約4世紀にわたって続いたのである。
 黒人達は、つらい労働の合間には祖国から持ち込んだ太鼓を叩き、祖国の言葉で歌を歌い、踊り、彼等の神を祈った。そのようにして、アフリカの文化は守り伝えられていった。そして、スペイン人の持ち込んだ文化と徐々に混じり合い、カリブ独特の文化を形成していった。

  時は流れ、20世紀の初頭。既に多くの植民地で奴隷解放や独立が進んでいた。キューバとプエルトリコはスペイン最後の植民地となっていた。米西戦争に勝利したアメリカはプエルトリコを米国の自治領とした。これ以降、ニューヨークには多くのプエルトリコ人が移住した。そして、やっと独立を果たしたキューバも、不平等条約のもと、実質的に米国の支配下におかれたのであった。 キューバの首都、カリブ最大の都市であるハバナは、米国人向けの大歓楽街として繁栄した。エキゾチックなキューバ音楽は大変にもてはやされた。そして、次第にキューバ音楽は世界中で大人気となったのである。

 具体的にどのようなキューバ音楽があったのか。
 最初に世界に紹介されたキューバ音楽は、19世紀末のハバネラだ。オペラ「カルメン」に使われ、またアルゼンチンではタンゴのもとになったとも言われている。元はヨーロッパの舞曲であったコントラダンサが黒人的リズム感を増し、ダンサとなり、更にハバネラが生まれたのだが、ここから、更に踊りやすいダンソンが生まれた。
 そして、次に世界でブレイクしたのがルンバである。20年代にハバナで流行していたソンは、30年にドン・アスピアス楽団の「南京豆売り」がニューヨークで大ヒットし、世界へ広まった。この時、ソンという名前はわかりにくい為、ルンバと呼ばれて売り出され、これ以降、キューバのソンは国外ではルンバと呼ばれるようになった。今でも、キューバ本国でルンバというと全くの別物なので注意が必要だ。
 キューバのルンバは、太鼓と歌によるアフリカ系の音楽&ダンスの事を指し、ヤンブー、ワワンコー、コルンビア等の種類があり、その複雑なシンコペーションのリズムは、後のサルサにも大きな影響を与えている。
 40年代、ペレス・プラードによって広まったマンボは、キューバのベニー・モレー、ニューヨークのマチート、ティト・プエンテ、ティト・ロドリゲスらによって大人気となり、日本でも50年代に大ブームとなった。
 更に、チャチャチャが続く。エンリケ・ホリンによる、ダンソンが進化したダンス音楽だ。50年代のキューバで火がついた。しかし、ニューヨークではそれほど広がらず、代わりにパチャンガが流行し、ジョニー・パチェーコ、レイ・バレットらが人気を得た。

  1959年、キューバ革命が起きると、程なく米国はキューバと国交を断絶。ニューヨークへはパチャンガを最後にキューバの最新流行音楽が入らなくなった。当時プエルトリコ人を中心とするニューヨークのラティーノ人口はかなり増えており、彼等は自分たちの手で新しいサウンドを作り出して行く事になった。
  60年代、ラテン・ロックの元祖とも言えるブーガルーも流行した。R&Bにラテンリズムを加えたようなサウンドで、英語で歌われた曲も多い。 また、デスカルガ、つまりキューバ風のジャム・セッションも多く行われた。これまで流行した様々なキューバ音楽とジャズやロックやソウルなどを掛け合わせる様々な実験が行われたのである。そして、弁護士ジェリー・マスッチとジョニー・パチェーコにより64年に設立されたファニア・レーベルにより、このムーブメントはサルサと名付けられた。
  チャーリー&エディ・パルミエリ、ウィリー・コロン&エクトル・ラボー、レイ・バレット、ラリー・ハーロウ... 多くのミュージシャンがひしめき、大きなムーブメントとなったサルサは、71年、クラブ・チーターで行われたファニア・オール・スターズのライブで、一つの頂点を迎えた。このライブの模様は、2枚組のアルバムとして、また、映画「アワー・ラテン・シング」として発表された。ファニア・オール・スターズの世界ツアーも行われ、サルサは、世界に広まっていった。
  そうして隆盛したニューヨークのサルサだが、70年代も後半に入ると、次第に勢いを失っていった。80年代のニューヨーク・サルサは、ウィリー・コロン&ルーベン・ブラデス、ルイス・ペリーコ・オルティスなど一握りの才能によってその伝統が守られていた。いよいよヒスパニック系移民は増大していったのだが、移民第2世代はサルサを古い音楽として敬遠し、ロックやソウルを好んだ。この傾向を反映してか、80年代には、バッド・ストリート・ボーイズなど、英語サルサがひとつのブームとなった。
  一方、各国へ飛び火したサルサは、それぞれの国で独自に発展を見せ、新しい流行となっていった。
  プエルトリコでは、50年代から、プエルトリコ独自の音楽であるボンバやプレーナを現代化したコルティーホが人気を得ていたが、その後、哀愁を含んだ独自のプエルトリコ・サルサが確立していった。7,80年代にはエル・グラン・コンボ、ソノーラ・ポンセーニャをはじめとした多くのミュージシャンが活躍した。多くのニューヨークのミュージシャンもこの頃プエルトリコに戻って活動している。
  ベネズエラ出身のオスカル・デ・レオーンは、正調キューバ音楽に帰ったような元気なサウンドで人気者となり、また、元はガイタを演奏していたグアコは独自のサルサを確立していった。
  またコロンビアからはフルーコらがクンビアなどを取り入れたサウンドで活躍し、その後、グルーポ・ニーチェやジョー・アロージョらがコロンビア・サルサを確立していった。
  また、ドミニカ共和国からの移民の増加を背景に、単純で踊りやすいメレンゲがはやりだしたのも70年代後半から80年代だ。ジョニー・ベントゥーラ、ウィルフリード・バルガス、ロス・ベシーノスらが一世を風靡した。その後、90年代に入ると、ホアン・ルイス・ゲーラが同じくドミニカのバチャータを流行させた。
  80年代後半からは、ラテン・ポップス的に恋愛をソフトタッチに歌うサルサ・エロティカ/サルサ・ロマンティカが広まった。エディ・サンチアーゴやフランキー・ルイスがその代表だ。硬派な歌手に混じり、アイドル的な人気を得た。 ソロ歌手が人気を集めるに従い、プロデューサー/アレンジャーが力をふるい始めたのもこの頃だ。セルジオ・ジョージ、イシドロ・インファンテ、ルイス・ペリーコ・オルティス、カルロス・クト・ソトなどが縁の下の力持ちとして、数々のヒットを飛ばしていった。
  当時、勢いを失ったファニア・レーベルに変わってニューヨーク・サルサの先頭に躍り出たのは、ラルフ・メルカド率いるRMMレーベルだった。このレーベルから飛び出した新世代シンガー、インディアとマーク・アンソニーは共にハウス・ミュージックからの転身組だ。サルサを聴かずに育ったニューヨリカン2世、3世のスターとなった。
  前後するが、日本から現れたオルケスタ・デ・ラ・ルスもこのRMM出身だ。90年にデビューしたデラルスはサルサの原点に帰ったようなストレートで元気なサウンドで一躍トップスターとなった。

  さて、ソ連崩壊に伴う冷戦終結で、アメリカとキューバの関係にも変化の兆しが出てきた。革命後、キューバのソンは、独自に進化を遂げ、他国のサルサとはまた違った魅力を持つ音楽になっていた。現在、雪解けムードの中で、サルサとキューバ音楽は互いに影響を与え合っているが、ここで、革命以後のキューバ音楽の進化についてみてみよう。
  革命以降、6,70年代は音楽的にも模索の時代であった。60年代前半には、アフリカ系文化が見直され、ページョ・エル・アフロカンによるモザンビーケというリズムが大流行した。 60年代後半になると、キューバにもロックの影響は大きく、フアン・フォルメル率いるロス・バン・バンの発明したソンゴという、ドラムセットを用いたアフロキューバンリズムが大人気となった。また、フォーク・ロック的なヌエバ・トローバ運動が起こり、パブロ・ミラネスとシルビオ・ロドリゲスという2大スターが出たのもこの頃だ。ジャズの影響も大きく、73年結成のイラケレが超絶テクニックをもって国内外でひっぱりだことなった。また、70年代末から80年代にかけ、いくつかのサルサアーティストがキューバ公演を実現し、キューバ音楽に影響を与えている。アダルベルト・アルバレスらはサルサを消化した現代的なソンを確立し、また、オルケスタ・レベはチャングイというアフロなリズムで一世を風靡した。村上龍が日本に紹介したNGラ・バンダがデビューしたのは88年。高度なテクニックに裏打ちされたダンサブルな演奏で大人気となった。彼等のスタイルはその後、サルサ・ドゥーラと呼ばれるようになり、パウロ・イ・ス・エリテ、チャランガ・アバネーラ、メディコ・デ・ラ・サルサなど多くの人気バンドが競い合っている。近年は更に複雑で激しいリズムを持つティンバが人気である。一方、98年にライ・クーダーの手による伝統的なソン、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(名盤)がグラミー賞を獲得するなど、キューバの音楽は50年代以来の世界的注目を集めている。

  90年代のラテンシーンはいよいよ複雑に進化している。サルサ・ロマンティカの流れはジェリー・リベラなどアイドル・サルサを生み出した。また、グロリア・エステファンが全編スペイン語の汎カリブ的なラテン・アルバムを発表し話題となった。
  20世紀も終わりに近づき、多くのラテン・リズムと様々なダンス・ミュージックが複雑に融合し始めている。ラテン・ヒップホップ、ラテン・ハウスはクラブ・シーンでも流行。特にイリガレスやプロジェクト・ウノらの確立したメレンラップ、メレンハウスは大人気だ。また、サルサ・ラップやサルサ・レゲエなど、DLGを代表とする様々な新世代サルサも登場している。
  ダンスミュージックとの融合、アイドル化、ポップ化、原点回帰...等々、サルサは更に進化と多様化を加速させている。21世紀、サルサはどんな姿になっているのだろうか。

(text by 須田, 1999.5 恋するサルサブック 音楽之友社)(禁転載)
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テーマ:ラテン、ブラジル、ボサノヴァ、フォルクローレetc. - ジャンル:音楽

  1. 1999/05/01(土) 12:00:00|
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